事例紹介

介護のこと

最近では育児やお仕事に加え、親の介護まで背負って日々奮闘している女性もお見掛けします。小さな子供の世話の大変さは、そのうち大きくなってくれば手がかからなくなるという前提のある大変さですが、介護はそうはいきません。

 

これまで数多くの高齢者施設で講演をさせて頂きましたが、利用者さんの中には、いつも温厚で優しかった男性が急に暴力的になって怒鳴りだしたり、遠い記憶の中で子供を迎えに行かなければと、何度も脱走を試みる女性の高齢者がいたりと、スタッフのご苦労は尽きないご様子でした。
特に在宅で自分一人でお世話をしている場合は、先の見えない毎日に孤独やストレスも計り知れない事と思います。

 

例えば認知症などが入って来ると、同じ話を繰り返したり、話があちこちへ飛んだりと、疲れている所に更に苛立ちが募る事もあるでしょう。特にご家族の場合は、無意識のうちに、こんな形で遠のいていく親が悲しくて許せないのです。愛情があるからこそ、『しっかりしてよ!』という思いがきつい言葉になって口から出たりしてしまいます。その上一番お世話してくれる人を泥棒呼ばわりするような事件も起きて来るのですから、そばに居る人のメンタルケアは本当に大切です。

 

こんな事からも分かるように認知症が入ったお年寄りに、ある意味根気よく優しく接することが出来るのは、返って血のつながりのない他人である場合もあるのです。ですのでデイケアなどを上手に利用しながら、どうぞご自身の心の状態にも気を配って下さい。

 

さてあちこちと話が飛ぶようなケースのお年寄りの場合、抗わず共鳴を入れながら話相手をされるといいと思います。例えばさっきまで『私子供は居ないの』、とおっしゃっていたお年寄りが『これ、孫が書いてくれた絵なの』なんて言って絵を見せてくれたりします。
もちろん人によりますが、こんな矛盾はよくある事です。一々話の辻褄を合わせる必要の無いことは、そのまま『そうですか。よかったですねぇ。』と進めましょう。

 

傾聴というのは基本的に相手が気持ちよく話を続けられるよう促す役に徹することです。
ちょうど駐車場で警備員の方が、運転手さんに向かって棒を持った手をぐるぐる回して促すような、あんなイメージです。
そして共鳴はわかめのようにゆらゆらと揺れながら、相手の話に気持ちを沿わせていく事です。相手が『ああ、頭に来た!』と言えば『それは確かに頭に来ますね!』とか、『お花見をしてきたのよ。それがとってもきれいだったの』と言えば『そうでしたか。それは良かったですねえ。』という具合です。話の中身の正誤はあまり関係なく、あくまでもその話のベースになる感情の部分をくみ取って一緒に感じて行きます。

 

以前高齢者施設でボランティアをさせて頂いたとき、とにかくいつもイライラしていてスタッフの悪口ばかり言っている女のお年寄りがいました。車いすに乗ってTVの前に座っていましたが、じっとしていてもずっと足が痛むのだそうです。その事をスタッフに訴えるのですが、スタッフももうこれと言って対処法が無いようでした。お医者さんにも伝えてあって、一応お薬も出ているとの事。

なのでその痛みの辛さはやり場も無く、スタッフへの暴言になるわけです。苛立ちは時折大きな怒鳴り声になって、ろうか中に響いて他の利用者の方々も怯えさせます。

「一体いつまで自分は、ここでこうして痛みに耐えていなければならないのか」という絶望感にも似た叫びなのでしょう。他にやる事でもあればまだ気が他へそれるけれど、何もしないで意識を患部に集中していれば尚更痛みは強くなって来る事でしょう。

 

お気持ちはさっするものの、当然私にも成すすべはありません。心から共鳴するより他何も出来ないのです。なので仕方なく車いすの横にしゃがみこんで、私から相手を見上げるようにして足をさすって差し上げながら、『10分と代わってあげる事すら出来ないねぇ。申し訳ないねえ。何もしてあげられないねえ。』と、正直に言ってみたのです。すると不思議な事にすーっと顔つきが穏やかになり、それまで険しかった顔が、安らかな表情になりました。ああ、これが共鳴なんだな、思った瞬間でした。

 

介護って人間に向き合う究極の任務なのかもしれません。大変な事も多いと思いますが、どうかあまり頑張り過ぎず、愛する人との最終章を心寄り添って大切に過ごして頂ければと願うのみです。